日韓関係の光と陰-なぜ今首脳会談が必要か
添谷 芳秀 (慶應義塾大学 教授)
今、日韓関係は、1965年の国交正常化以降最悪の状態にあるといわれる。2012年8月に李明博大統領が、韓国の大統領として初めて竹島に上陸したことが重要な転換点となった。大統領の天皇に関する発言も相まって、日本側では「もうこれ以上韓国に配慮を示す必要はない」という心情が急速に広まった。李明博大統領の突然の行為は、前年12月に京都で開催された野田佳彦総理との首脳会談で、慰安婦問題に進展がなかったことに対する不満の表れであると、一般的には解釈されている。しかしながら、李明博大統領はそれ以前から何度か上陸の意思を示し、側近がそれを止めてきたという。
そうだとすると、李明博大統領には、日韓関係の改善を進める意思と、日本に厳しく当たることで評価されようとする誘惑が、同時に存在したということになる。事実、李明博政権は当初から日韓関係には肯定的で、日米韓の安全保障協力にも前向きであった。振り返ってみれば、反日のイメージが強い盧武鉉大統領も、小泉純一郎首相が2001年以降毎年靖国神社を訪問していたにも関わらず、2004年7月から首脳間の日韓シャトル外交をスタートさせている。
こうして、韓国側からみると、日韓関係には常に光と陰が表裏一体化していることが分かる。冷戦終焉後、光の部分、すなわち日韓政府間の協力関係や市民社会の交流が着実に進展してきたことに疑いはないだろう。しかしながら同時に、日韓協力の論理が明示的になればなるほど、その陰の部分からの反作用も強まるという現象が起きている。日韓関係に内在する構造的矛盾であるといってよいだろう。最近、日本の政治や社会にも同じような傾向が生まれつつあり、その構造的矛盾が一層深まっているようにみえる。
さて、話を直近の日韓関係に戻してみよう。李明博大統領の竹島上陸の直前、2012年6月末には、水面下で交渉がまとまった「日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の締結が突然延期された。GSOMIAで合意が成立したこと自体は、日韓関係の極めて重要な進展であった。しかし、その事実が公表されると、韓国のマスコミと政界から強烈な反対論が巻き起こったのである。まさに前述の構造的矛盾を彷彿とさせる光景であった。
2013年2月に誕生した朴槿惠政権は、こうして当初から困難な日韓関係のかじ取りを託されることとなった。安倍首相も日韓関係改善の意欲を示し、2月末の大統領就任式に出席した麻生太郎副総理が朴槿惠大統領と30分近く会談した。
しかし、日韓関係は朴槿惠政権初日のこの会談でつまずいた。麻生副総理が、十八番とする米国の南北戦争の話を持ち出して、ほぼ一方的に歴史問題に関する自論を講釈したのである。完全に「切れた」朴槿惠大統領は何も反論せず、翌週3月1日の独立運動記念日の演説で、被害者と加害者の関係は「千年経っても」変わらないと反撃にでた。4月に麻生副総理が靖国神社に参拝すると、予定されていた韓国外務長官の訪日がキャンセルされた。それを受けて同月末、安倍首相が国会で「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と麻生副総理を擁護した。以後今日まで、日韓両国政府の関係は完全に麻痺したままである。
こうして今、日韓関係の構造的矛盾は、日韓両国の最高権力者を軸として深まり続けている。しかし、昨年末の安倍首相による靖国神社訪問直後の本年初めにソウルのアサン研究所が行った世論調査によると、過半数の韓国人が朴槿惠大統領は日韓関係の改善に取り組むべきだと考えており(57.8%)、またGSOMIAも調印されるべきだと答えている(50.7%)。政府関係はもちろん、日韓市民社会の関係がこれ以上損なわれないためにも、日韓両首脳の「和解」が急務である。
RIPS' Eye No.178
執筆者略歴
そえや・よしひで ミシガン大学Ph.D. (国際政治学)を取得後、平和・安全保障研究所研究員を経て、1995年より現職。専門は東アジアの国際政治、日本外交。著書に『日本外交と中国 1945-1972』(慶應義塾大学出版会、1995年)、『日本の「ミドルパワー」外交』(筑摩書房、2005年)など。