宣言よりも実効性を:日本の『核兵器の不使用』共同声明拒否をめぐって

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秋山 信将 (一橋大学大学院 法学研究科 / 国際・公共政策大学院 准教授)

 現在ジュネーブで開催中のNPT運用検討会議準備委員会で、日本は、スイスなど75か国が共同提案国になった核の非人道性と不使用に関する共同声明に署名しなかった。それに対してNGOコミュニティなどを中心に、非難の声が高まっている。これまで日本は、唯一の被爆国として、「軍縮特使」を創設して被爆者の方々にその職務を委嘱してまで核被害の悲惨さを強調してきたにもかかわらず、いざ政府が核の非人道性を訴える共同声明への署名の機会を示されると、コミットしないことに決めたのだ。その理由としてメディアなどでは、日本はアメリカの核の傘の下にあり、アメリカによる日本防衛の選択肢を縛ることになるので署名をためらった、との解説が有力だ。しかし、その背景についてはもう少し客観的に詳しく見る必要がある。

 そもそも、核兵器の非人道性には疑いの余地はない。近年、非戦闘員に対する二次的被害に対する世論が厳しくなる中で、戦略目標などの破壊に、極めて大きな二次的被害を伴うことが想定されている核兵器は、使用しにくい兵器になってきていることは事実である。私自身も、核兵器の保有が非合法化され、最終的にはこの世から核兵器がなくなればよいと思う。
しかし、今回の未署名の件をして、日本が核兵器の廃絶を望んでいない、とか、アメリカの言いなりで日本には自律的な思考がないと結論付けるのには賛成しかねる。

 おそらく今回の日本政府の決定は、現時点から核兵器がゼロになるまでの道筋の中で直面するかもしれない安全保障上のリスク(状況)を勘案し、この声明に署名することによって、そうした状況に直面した時に果たして国民を守るという国家としての究極的な責任を果たすための最善の選択をすることができるのかどうかを、考慮した結果であると考える。

 あるいは日本はそこをまじめにとらえすぎたのかもしれない。このように核兵器の不使用に公的にコミットすることによって自らの安全保障政策を縛ってしまう、というのは確かにそのとおりであるかもしれないが、署名国がみんなそこまで「まじめ」に考えているのかどうか。署名だけして、しれっと「究極の選択」の場面ではこのコミットメントを翻してしまう国がないとは言い切れない。

 たとえば、署名国を見ると、ブラジルやエジプトといった、率直に言ってしまえばかなりの拡散懸念国も含まれている。このような国は、この声明に署名する前に、IAEA包括的保障措置協定の追加議定書に署名・批准すべきで、そちらのほうがより核廃絶にとっては有意義なことだ。彼らが追加議定書署名を躊躇っているのは、それによって核開発のための機会の窓が閉ざされることを懸念しているからだとの見方は根強い。

 また、署名国を見てみると、北東アジアの国は、アメリカ、ロシアも含め、一か国も、あれだけ非核地帯構想に熱心なモンゴルでさえも、含まれていない。このような中で日本が一国だけ署名するという事態は、むしろ東アジア域内の国家間の安全保障環境に関する相互理解を混乱させる事態を生じさせかねない。おそらく、今回日本は「韓国、中国と一緒に署名したい」という外交を展開すべきだったのかもしれない。

 今、核軍縮における透明性が議論されている。中国は、彼らの宣言的政策が最大の透明性の手法だと主張する。少し前に、先制不使用、消極的安全保証というドクトリンが話題になったばかりである。通常、米ロ間の軍備管理・軍縮 では、trust but verifyの原則のもと 、宣言的政策が信用できないので、数量管理の透明性を向上させることで信頼を醸成してきた。しかし中国はこれとは異なる、宣言的政策を通じた透明性という手段を選択している。
今回日本がこの声明に署名したとすると、それは一種の宣言的政策ということになるが、果たしてその信ぴょう性はどの程度のものになるのか。同盟関係にある日米の間で核ドクトリンに差異が生じた場合、それはむしろ中国や北朝鮮を混乱させることになりはしないか。

 現在この地域が抱えている最大の安全保障上のリスクは、いずれかの国が決然と核の使用に踏み切るような大規模戦争の可能性ではなく、偶発的な事件や誤算による、意図せざるエスカレーションである。だとすれば、信ぴょう性の低い宣言的政策は、安全保障上、利益よりもリスクを増大させかねない。
東アジアにおいては、いかにして安定的な戦略関係を構築していくべきかという議論が米中の間で始まったばかりで、今後紆余曲折があろう。その中で、さらに不確定要素を増やすことになりかねなかったのが、今回の声明への署名である。

 核兵器が使用される可能性は低いので、宣言的政策で世界の規範形成をリードすべき、という主張もあるかとは思う。しかし残念ながら、核兵器は対人地雷やクラスター爆弾と比べ、国家の生存という目的に照らして、本質的に異なる。だからこそ、単なる宣言的政策やスローガンがリードする核軍縮では不十分なのだ。今本当に求められているのは、自国の安全保障に直接的に影響のある国々との関係の中で核兵器の役割を低減させるための戦略的構想である。日本はその面での取り組みを強化し、核軍縮に貢献すべきである。

RIPS' Eye No.165

執筆者略歴

あきやま・のぶまさ 広島平和研究所講師、日本国際問題研究所主任研究員などを歴任。RIPS奨学プログラム9期生。専門は、核不拡散・核軍縮。

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