対中牽制としてのTPP:交渉参加と署名、批准は別問題
松村 昌廣 (桃山学院大学法学部 教授)
安倍新政権は早速 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という難問に直面している。実質的な交渉参加決定の期限は迫っており、今決断せねば、ルール作りにわが国の声を反映 できない。これまで経済面の利害得失は一通り議論された感があるが、決め手に欠ける。国際政治では、長期か短中期か、時間軸が戦略的に大きな意味を持つ。 どうすればよいか。
2008年秋のリーマン・ショック(未曽有の資産バブル崩壊)に端を発する現在の深刻な不況の下では、すべての国々が有効需要の急激な減退に悩んでい る。大局的に見れば、これだけ大きな有効需要を短期間に創出するには、大戦争か富の収奪か集中豪雨的輸出かしか方策はない。
現実的には、各国は目先の活路を近隣窮乏化的な貿易政策に求めざるをえない。実際、リーマン・ショック後、オバマ大統領は対外輸出による経済回復と雇用創出の政策を掲げてきた。その実現のために、従来の方針を転換してドル安政策をとりつつTPPを推進している。
TPP成立の暁には、米国のGDPが参加国全体に占める割合は67%、日本が24%、豪州が4%、その他の諸国が5%である。つまり、米国の「弱肉強 食」的な輸出の主たる対象は日本なのである。カナダやメキシコを含めれば、日本の割合は多少低くなるが、既に米国は加墨両国と北米自由協定(NAFTA) を締結しており、両国のTPP参加によって両国への米国の輸出は大きく増えるとは考えにくい。短期的には米国の輸出攻勢に押しまくられることはあっても、 貿易の自由化を通して、日本経済は国際競争力をつけることによって、長期的には大きく成長することが期待できる。
他方、この20年来、数多くの自由貿易協定締結は国際政治における陣取り合戦の様相を呈してきており、最近はTPPを主導する米国とRCEP(東アジア 地域包括的経済連携)を提唱する中国が激しく鞘当てを演じてきた。その本質は相対的に凋落する米国と自国主導の地域経済秩序構築を目論む中国との経済覇権 争いである。
従来、日中は地域経済秩序の将来構想で対立してきた。中国は自国優位のASEAN諸国プラス中韓日3か国による経済圏を、そうはさせじとする日本はこれ ら諸国に印豪ニュージーランド3か国を加える経済圏を提唱してきた。ところが、米国がTPPを推進し始めると、中国は急に構成国の点で日本の構想に歩み寄 るRCEPを提唱するようになった。RCEPは米国を含まないからだと思われる。
こう捉えると、わが国はできるだけ早くTPP交渉に参加して、中国をさらに牽制することが肝要である。TPPで高度な自由化を求めるルール作りをすれ ば、RCEPのルール作りにも影響を与えよう。低いレベルの自由化を求める中国には厳しい。また、わが国が求める自由化の水準は中国のそれ以上、米国のそ れ以下であるから、TPP交渉過程において、わが国は国益を反映したルール作りを主張すべきである。
留意すべきは、TPPに署名しない、批准しない、または批准を先延ばしにする、これらも選択肢である点である。わが国のTPP交渉参加の目的は中国の牽制と長期的な視点からの高度な貿易自由化であって、TPPを目先の不況脱出の方策とすることではない。
かつて第一次世界大戦後のウィルソン米大統領は率先して国際連盟を設立しようとしたが、米上院が条約を批准せず、米国はその加盟国とはならなかった。最近では、2000年にわが国政府が国際組織犯罪防止条約に署名しておきながら、現在に至るまで国会は批准していない。
要するに、時間軸を組み入れた戦略発想から、憲法に定める権力分立に則り、柔軟に対応すればよい。批准をめぐって与党内で激しい対立が生まれれば、国会での投票に際して党議拘束を外すという方法もある。是非ともTPP交渉参加を即断して欲しい。
RIPS' Eye No.160
執筆者略歴
まつむら・まさひろ 米国メリーランド大学大学院より政治学博士号授与。現在桃山学院大学法学部教授(国際政治学)。単著『動揺する米国覇権』を発表するなど、米国覇権、東アジアの国際秩序などを専門とする。当研究所安全保障研究奨学プログラム第6期生。