シリアからの贈り物―内戦における化学兵器の使用禁止
浅田 正彦 (京都大学 教授)
シリアの化学兵器の廃棄問題は短期間のうちに急展開を見せている。しかし、それがいわばシリア一国の化学兵器の廃棄に関係するに過ぎないのに対し、同時に化学兵器の使用問題が世界大の効果をもって急展開していることは意外に知られていない。その点について若干述べてみたい。
化学兵器の使用規制の歴史は古い。毒ガスといわれていた化学兵器が大量に使用されたのは第一次世界大戦においてであり、その経験を受けて作成された1925年のジュネーブ議定書(GP)は、化学兵器の「戦争」における使用を禁止した。ここにいう「戦争」とは宣戦布告を伴う戦争、国家間の戦争であって、内戦における化学兵器の使用はカバーされていなかった。またジュネーブ議定書の締約国には、非締約国に対する使用や復仇としての使用の権利を留保する国が少なくなく、それゆえ1993年の化学兵器禁止条約(CWC)では、化学兵器の使用を「いかなる場合にも」禁止することが特に規定されることになった。
シリアは、内戦における化学兵器の使用を禁止していないGPには加盟していたが、化学兵器の使用を包括的に禁止するCWCには加盟していなかった(2013年9月14日に加入)。したがってシリア内戦における化学兵器の使用は、いずれの条約にも違反するものではなかったといえる。
ところが、2013年9月27日に全会一致で採択された安保理の対シリア決議(決議2118)では、「国際法に違反するシリアにおける化学兵器のあらゆる使用(とりわけ2013年8月21日の攻撃)を最も強い言葉で非難」(第2項)するとしているのである。これは、シリアの政府と反政府勢力のいずれが使用したのかという問題についてはオープンにしているものの、内戦における化学兵器の使用を「国際法に違反する」としている点で注目に値する。上記のようにシリアにおける使用が条約に違反している訳ではないので、安保理は、内戦における化学兵器の使用が慣習法に違反することを宣言したということになろう。
もちろん、これまでにそのような判断へと向かう伏線がなかった訳ではない。古くはイラン・イラク戦争末期の1988年に、イラクが同国のハラブジャにおいて自国民に対して化学兵器を使用したのに対して、西側諸国が国際法違反として非難した例がある。
しかし、1998年の国際刑事裁判所(ICC)規程は、戦争犯罪の一類型として、国際的武力紛争における毒ガスの使用を定め、違反者の刑事責任の追及について規定したのに対して、同じことは非国際的武力紛争(内戦)との関係では定められなかった。このことは、内戦における化学兵器の使用禁止がなお慣習法とはなっていないとの判断を反映したものと見ることもできる。なぜなら後述するICCの特殊な裁判管轄制度から、慣習法上禁止されていない行為をICCにおいて処罰することは、罪刑法定主義に反することになるからである。
しかし、ICCは2010年に規程を改正し、内戦における毒ガスの使用を戦争犯罪の一類型に追加した(コンセンサスで採択、未発効)。これは、慣習法上化学兵器の使用は内戦においても認められない、との法的認識を反映するものである。のみならず、ICCの特殊な裁判管轄制度(安保理による付託の場合ICC未加盟国の国民も処罰されうる)から、改正が発効すれば、事実上世界のあらゆる国の指導者・叛徒指導者が内戦における化学兵器の使用を理由に処罰される可能性が生ずることになる。
決議2118はこういった趨勢の延長線上に位置づけることができるが、ICCの特殊な管轄を介して事実上すべての国の国民が拘束されることになるという説明は一部の専門家を除いては理解困難であるし、そのようなICCの制度に正面から反対する国(例えばアメリカ)もある。そういった観点からは今回の安保理決議は、それが全会一致で採択されたことも含めて、内戦を含む化学兵器の包括的な使用禁止の慣習法化に重要な役割を果たすものと評価することができるように思える。決議が、一般的な形で「いずれの場所における化学兵器の使用も国際の平和と安全に対する脅威を構成する」(第1項)と明記したことも、内戦を含め化学兵器の使用が制裁につながりうることを示した点で、同様に重要である。
RIPS' Eye No.173
執筆者略歴
あさだ・まさひこ 京都大学法学部卒。外務省専門調査員、オックスフォード大学客員研究員、岡山大学教授を経て現職。国連安保理北朝鮮制裁専門家パネル委員、検証に関する国連事務総長諮問委員会委員、原子力委員会専門委員、産業構造審議会臨時委員、OPCW理事会日本代表団随員などを歴任。