日豪安保協力を強化しながら、パブリック・ディプロマシーへの配慮も怠るな
赤根谷達雄 (筑波大学 人文社会系 教授)
民主的国家の国際関係は市民の意向によって左右される。政府の対外政策の自由度は世論によって拘束されるからである。こうしたことから諸外国の世論に働きかけるパブリック・ディプロマシーの重要性が高まっている。これに関連して最近気になる新聞記事を目にした。豪州のシドニー工科大学・豪中関係研究所(ACRI)が行った世論調査によると、尖閣諸島をめぐって日中が軍事衝突した場合、71%が豪州は中立を維持すべきだと回答した。さらに米国大統領が豪州首相に電話で支援を要請した場合であっても、68%が中立を保つべきであると回答したという記事である。調査は豪州全土の18歳以上の1000人を対象として行われた。
豪州は第二次世界大戦以降米国と緊密な同盟を維持してきており、米国から要請のあった主要な戦争にはすべて参加してきた。米国のアジア太平洋への再コミットメントを示す「アジア回帰」戦略は今日よく話題にのぼるが、それが表明されたのはANZUS創設60周年を祝す豪州議会でのオバマ演説においてであったことは銘記されてよい。また日本と豪州の安保協力にも近年めざましいものがある。2007年、両国首脳間で「安保共同宣言」が発表され、爾来、両国の外交防衛協力は強化されている。昨年の11月には日米豪三カ国首脳会談がもたれ、中国の台頭と海洋進出に共同対処することで一致した。こうした親密な日米豪間関係に鑑みると、豪州の世論調査の結果は意外である。日米豪関係を知っている日本人であれば、尖閣の有事に際して、豪州の軍事的支援まではともかく、道義上あるいは政治外交上の支援くらいは期待するのではないか。
実は今回の豪州の世論調査で、調査対象者の過半は尖閣問題を知らなかった。それに加え、質問の仕方が、尖閣での軍事衝突に豪州は参戦するかといった架空の話に基づいている。尖閣問題すら知らない者がこのような質問をされたら、中立を支持する回答が多くなるのは予想されることである。さらに尖閣問題を日中二国間ではなく、中国海軍の東シナ海・南シナ海全域―否ハワイ以西太平洋―への進出問題の一部として取り上げていたなら、結果は違ったものになったかもしれない。
世論調査を行った豪中関係研究所は昨年の春設立されたばかりで、初代の所長には前労働党政権の元外相ボブ・カーが就任した。このたびの世論調査とそれに先立つ報告書「東シナ海の紛争:ANZUSは適用されるか?」は、本研究所が設立されてから最初の主要な成果物である。興味深いのは豪中関係研究所の設立の経緯である。同研究所の設立は、中国深圳を拠点とする不動産開発会社玉湖集団の創始者代表取締役・黄向墨からの1.8百万豪ドルの寄付によるものである。黄氏はこれ以外にも幅広く政治献金や寄付を行い、豪州の政財学界に厚い人脈をもっている。周知のように中国の民間企業・市民団体と政府・共産党の関係は密である。豪中関係研究所の主要な使命が「豪中関係の発展に資する研究調査」である以上、同研究所の設立自体、中国のソフト・パワーの勝利だといえる。今日の豪中関係は、貿易や投資、中国からの留学・移民などを通じて経済・社会レベルですでに緊密であり、今後さらに深まっていくことだろう。
巨大な中国にくらべ日本にできることは限られていそうだが、それでも豪州のような先進国に対するパブリック・ディプロマシーにもっと尽力してみてはどうだろう。キャンベラに豪日研究センターがあるが、経済分野の研究・出版にかたよっている印象を受ける。今後、政治外交や社会文化など幅広い分野で、豪州のシンク・タンクや大学・研究所への助成金を増やしてみてはどうだろう。日豪の研究者や学生への奨学金を支給してみてもよい。必要とされる金額の割には外交上の効果が大きいと思われるのだが。
RIPS' Eye No.191
執筆者略歴
あかねや・たつお 現在、筑波大学人文社会系教授。東京大学大学院修士課程修了。オーストラリア国立大学大学院より博士号。編著『新しい安全保障論の視座』(亜紀書房、2007年)。編著『日本の安全保障』(有斐閣、2004年)。単著『日本のガット加入問題』(東京大学出版会、1992年。サントリー学芸賞)ほか。