添谷芳秀
(慶應義塾大学名誉教授)
6月15日、河野太郎防衛大臣が突如イージス・アショア配備計画の撤回方針を表明し、その後正式決定された。すると、「盾」がだめなら「矛」を手に入れようという論理で、数年来の敵基地攻撃能力の保持をめぐる議論が再浮上し、今後安全保障戦略の見直しの過程で活性化しそうである。それがどこに落ち着くのかは不透明だが、もしも何らかの形で現実化するとなると、ひとつだけ確実なのは、日米同盟がさらに強化され、軍事的な日米一体化が新たな段階に入ることだろう。
その理由は、それほど難しくも複雑でもない。まずはミサイル発射地点ないし策源地をめぐる正確な衛星情報を米国に頼ることになる。実際のオペレーションでは、航空攻撃の場合、制空権の確保も米国に依存することとなるし、攻撃ミサイルの場合には相手からのこちらへの予防的「敵基地攻撃」も覚悟しなければならない。さらには、敵基地攻撃を発動する時点で、戦争のエスカレーションに万全の態勢で備えなければならない。要するに、日本独自の敵基地攻撃能力は、日米軍事協力の枠内でしか意味を持たないことは明白で、現状の米軍による「矛」の役割の一部を日本が肩代わりするという構図なのである。まさに、日米一体化が新たな段階に入ることとなる。
このことは、よりマクロな図式でみれば、中国や北朝鮮の脅威を強調すればするほど、日本の対米依存は深まり、日米同盟は強化されるという力学を示している。概していえば、その傾向はポスト冷戦の1990年代から始まった。そして同時に、冷戦後の日本はアジア太平洋における多国間安保協力にも注力するようになった。そこで生まれたのが、「日米同盟と多国間安保は車の両輪」というテーゼであった。しかし、1990年代以降の「車の両輪」論は、理屈は正しいながら、多分にお題目だけに終わっていた観がある。日米同盟の深化と比べて多国間安保協力が思うように進まなかったからである。
そこで最近の傾向として注目したいのが、インド太平洋諸国間の安全保障協力の進展である。それぞれ正式の呼称は異なるが、近年締結された二国間安全保障協力宣言は以下のとおりである。日豪(2007年3月)、日印(2008年10月)、豪韓(2009年3月)、豪印(2009年11月)、日加(2010年11月)、日NZ(2013年6月)、日英(2017年8月)。それらが等しく強調しているのは、国境を超える犯罪との闘い、テロ対策、大量破壊兵器の拡散対策、国際平和活動、災害救助、人道支援活動等のいわゆる非伝統的安全保障領域での協力が主であり、それぞれの内容は驚くほど似通っている。
さらに最近では、外交当局次官級の日豪印協議が、2015年6月、2016年2月、2017年4月、2018年12月と毎年開催された。日豪、日印、豪印の二国間安全保障協力が三カ国協議に発展したものとみることができる。そこに日韓が加われば、日豪韓の三カ国協議、さらには日豪印韓の四カ国協力の展望さえ、少なくとも論理的には開けてくるはずである。
日本の多くの為政者や論者は、日米同盟を強化する一方で「すべて米国のいいなりというわけではない」と主張する。一般論としては当然のことであるが、その種の議論は、対米依存の対極に日本単独の主体性をおく傾向にある。しかし、ここで唱えたいのは、上でみたインド太平洋諸国間の安全保障協力をさらに多角化し拡充することで日本の自主性を発揮すべきではないか、ということである。それが、日米同盟と多国間安保のバージョン2.0である。憲法九条の制約および改正についても、そうした複合的安全保障政策の視点からこそ議論を深めるべきだろう。
添谷芳秀
そえやよしひで 慶應義塾大学名誉教授。1979年上智大学外国語学部卒業、1987年米国ミシガン大学Ph.D.(国際政治学)。同年当研究所研究員を経て、1988年慶應義塾大学法学部専任講師、91年助教授、95年教授、2020年3月退職。近著に『安全保障を問いなおす』(NHKブックス、2016年)、『日本の外交』(ちくま学芸文庫、2017年)、『入門講義 戦後日本外交史』(慶應義塾大学出版会、2019年)。当研究所安全保障研究奨学プログラム第2期生。