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論評・出版 COMMENTARIES

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「日本は、今再び『人間の安全保障』実現に向けた取り組み強化を」

足立研幾
(立命館大学国際関係学部・教授/立命館大学国際地域研究所・所長)

 

 国連開発計画が『人間開発報告』において、「人間の安全保障」という概念を打ち出してから、今年で25年となる。この概念は、国家ではなく、人間の安全に注目し、一人ひとりの保護と能力強化に焦点を当てるところに、大きな特徴がある。日本は、「人間の安全保障」概念の普及や実現に対し、多大な貢献を行ってきた。本論では、日本は、「人間の安全保障」分野において、今再び国際社会をリードすべき、と主張したい。なぜか。

 第一に、国際社会において、「人間の安全保障」概念をめぐる合意が概ね形成され、その実現に向けた取り組みが加速しつつあるからである。1999年の「人間の安全保障基金」創設を主導して以降、日本は本基金に10年間で約350億円を拠出した。日本の努力もあり、2012年には、国連総会において「人間の安全保障」の定義に関する決議が採択された。しかし、2012年以降、日本の「人間の安全保障基金」への拠出額は年間およそ8億円へと激減している。国際社会が「人間の安全保障」実現に向けた取り組みを加速させる中、日本の存在感が薄くなりつつある。これは、外交資源の活用という観点からみてもったいない。

 第二に、2016年より国際社会は、持続可能な開発目標(SDGs)の実現に向けて取り組み始めているからである。SDGsの実現に向けては、個々の人間に焦点を当てて取り組むべき課題が多く、SDGsと「人間の安全保障」とは親和的、ないし補完的である。国際社会が、SDGs実現に向けて取り組む今、日本が「人間の安全保障」の観点から、国際社会を引っ張っていく好機が訪れている、といえる。

 第三に、ハードパワーに限りがある日本にとって、ソフトパワーの活用が重要だからである。中国が、軍事的にも経済的にも存在感を増し続ける中で、その重要性は高まっている。日本のソフトパワーの議論になると、とかくポップカルチャーがあげられがちである。確かにポップカルチャーを通した文化交流は、他国の日本に対する好意的イメージを醸成することに貢献するだろう。しかし、文化交流はソフトパワーの源泉のごく一部に過ぎない。ハードパワーを補い、日本外交の存在感を増すうえでは、文化交流よりも「人間の安全保障」のような国際社会をリードしうる理念の方が、有用性が高いと思われる。

 第二次安倍政権発足後、日本政府の「人間の安全保障」への言及は増加しつつある。2013年には「国家安全保障戦略」において「人間の安全保障の理念に立脚した施策等を推進する必要がある」と明記された。また、2018年の施政方針演説や、本年6月に大阪で開催したG20首脳会議で、安倍首相は「人間の安全保障」に言及している。こうした流れを加速し、国際社会において「人間の安全保障」実現に向けた取り組みを強化することは、日本外交の存在感を大いに増すことにつながる。

 その際、概念登場から25年が経過した今、「人間の安全保障」政策のアップデートを、日本がリードすることも肝要であろう。これまで、「人間の安全保障」実現に向けた取り組みの多くは、戦争・紛争、貧困、病気などによって生命が脅かされる人々の安全向上を目指してきた。しかし、これらからの脅威が減少すれば、「人間の安全」が確保されるわけではない。戦争・紛争が収束し、経済発展が進む国や地域においては、都市化に伴う公害の深刻化、スラム排除、土地収奪などが人々の安全を脅かしている。また、環境破壊や自然災害、感染症は、先進国か途上国かを問わず、人々の生活を脅かす。そうした脅威は、一国にとどまらず、容易に国境を越えて波及する。日本は、こうした脅威への対処を「人間の安全保障」という視点から提案し、実践する先頭に立っていくべきである。そのことによって、「人間の安全保障」のリーダーとしての地位を確固たるものにできれば、日本にとってかけがえのない外交資源となると思われる。

足立研幾

あだち・けんき 京都大学法学部卒業、筑波大学大学院国際政治経済学研究科修了。博士(国際政治経済学)。日本学術振興会特別研究員、筑波大学社会科学系助手、金沢大学法学部助教授、立命館大学国際関係学部准教授を経て現職。その間、オタワ大学社会科学研究科客員研究員、アメリカン大学国際関係学部客員教授。専門は、国際政治学、グローバル・ガバナンス論、軍備管理・軍縮。平和・安全保障研究所安全保障研究奨学プログラム第12期生。おもな著作に、『国際政治と規範』、『オタワプロセス』(カナダ首相出版賞)など。