「東南アジアにおける報道の自由の抑圧と強権政治―日本は批判を」
中本 義彦(静岡大学 教授)
日本を取り巻く安全保障環境は、本当に大きく変わってしまった。2年ほど前、永井陽之助氏の『現代と戦略』(1985年)が文庫として復刊されることになり、「解説」を書くべく再読したときに、あらためてそう感じた。新冷戦下で「非核・軽武装・経済大国」路線の継続を説いたこの著書の主張は基本的に正しかったし、その戦略論から学ぶべきものはいまも多い。だが他方で、この30年余りの間に、東アジアの景観が一変したことも事実である。そして、いまや日本は「軽武装」の中身を根本的に見直さなければならない状況に置かれているように思われる。
33年前、日本にとっての第一の潜在的脅威国はソ連であった。いまは中国であろう。そして、この2国が「能力」の面でも「意図」の面でも、かなりの程度異なっていることは重要である。「能力」についていえば、80年代半ばのソ連の場合、問題になっていたのは、極東における軍備(とくに空軍力)の増強であった。東西対立のエスカレーションによって日本周辺においても有事が起こりうると想定され、その場合に使用可能な戦力の均衡が日米に不利に傾いたのではないかと論じられていた。とはいえ、ソ連の国力(とくに経済力)全般が衰退しつつあることは、誰の目にも明らかであった。
これに対して、現在明らかなのは、当面の中国の台頭である。中国の名目GDPは、この30年余りで約38倍になり、世界の総生産に占める割合も約2%から15%に上昇している。国防費も89年の天安門事件以降は平均してGDP比2%を維持しながら2桁の伸びを続けており、海軍力においてさえ、少なくとも中国近海においては日本にとって「侮りがたいレベル」に到達している。
「意図」の面でも30余年前のソ連と現在の中国は異なっている。かたやG・ケナンが早くから説いていたように、ソ連の対外行動の源泉は、共産主義イデオロギーとロシアがもつ伝統的な安全保障上の不安であった。国家間の「力の相関関係」をソ連は重視したし、それに敏感に反応した。これに対して、現在の中国は、屈辱に甘んじてきたという歴史認識とそれによって鼓舞される中華思想という「単独覇権の思想」を対外行動の主要な原動力にしている。多くの中国研究者が論じてきたように、その行動は国外よりもむしろ国内の政治的要因に左右される傾向が強い。
日本とアメリカの国力も33年前とは異なっている。日本の名目GDPは約3.5倍になったが、世界の総生産に占める割合は約11%から6%に低下している。防衛費はGDPの1%付近に維持されており、その総額はいまや中国のほぼ5分の1になっている。アメリカの名目GDPも約4.5倍にはなったが、世界の総生産に占める割合は約35%から24%に下がっている。国防費も対GDP比で6%近くあった80年代半ばから3%に減少してはいるが、それでも総額は中国の3倍近い。
こうしてやはり「アメリカの世紀は終わらない」(J・ナイ)のかもしれない。しかし他方で、その社会は「世界秩序への関与」を重視しない大統領を選出してしまうほど深刻な変化に直面している。そして、2年半後に現大統領が再選されるか否かにかかわらず、アメリカは 当面「The Frugal Superpower(倹約的な超大国)」(M・マンデルボーム)の地位に甘んじざるをえないであろう。
台頭する中国、停滞する日本、内向きになるアメリカ。いまこそ巧みな外交戦略が必要とされる日本だが、米露対立と中露連携は日露関係の根本的な改善を困難にしているし、アメリカがTPPに参加しないかぎり「自由で開かれたインド太平洋戦略」も十分に効果的にはなりえまい。だとすれば、少なくとも、すでに1960年代半ばに永井氏が述べていたように、「狭義の防衛費は、他の先進国と比較しても、最大限国民所得の2%程度までは、常識的にやむをえないといわざるをえない」のではなかろうか。いまや古典となった『現代と戦略』は、そう教えているように思われるのである。