国連での理念形成と普及に寄与すべき日本外交―人間の安全保障普及を例として

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栗栖 薫子 (神戸大学大学院法学研究科教授 )

 今後、世界における日本の影響力を高めるうえで、国連における政策の潮流を作るような理念やアイディアの創出、そして普及への関与は一つの可能性である。以下では、日本政府による人間の安全保障への取り組みを事例にこの点を考察したい。

 人間の安全保障は、1990年代末から2000年にかけての小渕首相とそのブレーン達の間での度重なる議論を経て、日本の対外政策上の一概念として導入された。その背景には、ミドルパワーの側面もあわせもつ日本が「知的リーダーシップ」をグローバルに追求するという動機があった。小渕のブレーンとなった人々――NPOのメンバー、研究者、政治家、外務官僚――の間で突っ込んだ議論がなされたことが、この新しい概念を日本が推進していくというアイディアの構築につながったともいえる。彼らは、人間の安全保障概念をもって国連の実行にインパクトを与えるため、人間の安全保障に関する委員会の設置を構想した。2001年、緒方貞子、アマルティア・センを議長とする人間の安全保障委員会が設置され、二年後に最終報告書をコフィ・アナン国連事務総長に提出した。

 2000代半ばになると、日本は国連において人間の安全保障の概念を普及することに力を入れた。しかし、その主たる推進者は外務省であり、政治家やその他のアクターの関与はほぼなくなっていった。当時、人間の安全保障はまだ国連の公式概念ではなく、日本外務省はメキシコ、チリなどの協力を得て、2005年の国連総会首脳会合で合意された成果文書に、人間の安全保障に関する短い一節をかろうじて盛り込こんだ。

 この2005年成果文書を土台に、その後外務省は有志の加盟国間ネットワーク「人間の安全保障フレンズ」をメキシコと共同で構築し、数年間の協議を通じて概念への理解を広めた。加盟国の中には、人間の安全保障の名の下で内政干渉や武力行使が行われることを懸念する途上国があり、外務省は、保護する責任と概念と峻別することを含めて、加盟国の懸念を払拭する必要があるという立場をとった。

 そして、2012年9月、人間の安全保障についての「共通理解」を明記した国連総会決議(66/290)が採択された。同決議によれば、人間の安全保障は、加盟国が人々のとくに脆弱な人々の生存、生活状態、尊厳の諸課題に対処するための、人間中心アプローチである。包括的で、個々の文脈に応じた対応、予防的な対応が重要である。第一義的に当該国家に責任があり、政府、国際機関、市民社会との協力もいっそう求められる。

 と同時に、この決議は、人間の安全保障が「何ではないのか」についても明記することになった。すなわち、人間の安全保障とは、保護する責任とは異なり、武力行使を排除し、国家主権の尊重や内政不干渉等の原則を侵害しないものであることを明確にした。これらは、2005年以来、外務省が途上国を説得する際に配慮せざるをえなかった点であった。日本の多国間外交の特徴として、対立を避けるがために、多様な意見すべてに配慮しバランスを図ったうえでコンセンサスを形成するといわれる。今回の決議において示された人間の安全保障の概念も、特に欧米諸国からみると玉虫色となったことは否めない。人間の安全保障は、総会決議を経たものの、その内容の曖昧さもあって、いまだ国連の実行に明確な影響を及ぼすものにはなっていない。

 とはいえ、2012年の総会決議では、日本が過去十数年、一貫して支持してきた人間の安全保障について、概念的側面から多国間合意が得られた。決議に至る過程では、外務省が有志諸国とのネットワークを形成し多国間外交を主導した。理念の普及において日本がイニシアティブをとることは稀であるが、一定の成果をあげたことに注目したい。国連外交を効果的に行うためには、今後いっそうネットワーキングなど多国間交渉における戦略や戦術を学び、その経験を組織的に蓄積すべきである。ニューヨークに各国代表が常駐して情報収集や合意形成がなされるため、日常の人間関係の構築、積極的なネットワーク形成が重要となる。EUやG77のような恒常的枠組みに属しない日本はなおさらである。国連での理念や規範普及における国連事務総長や事務局の果たす役割を考えると、国連事務局に日本人職員がより多く配置されることも望ましいだろう。



RIPS' Eye No.212

執筆者略歴

くるす・かおる 東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程単位取得退学。大阪大学より博士号。現在、神戸大学大学院法学研究科教授。主な著作に『国際政治学をつかむ(新版)』(共著書)、New Approaches to Human Security in the Asia-Pacific (W. Tow 他編、共著書)など。当研究所安全保障奨学プログラム第8期生。

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