南シナ海の秩序維持に国際世論の糾合を

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德地 秀士(政策研究院 シニア・フェロー

 岸田外相は4月30日、北京で中国の王毅外相と会談し、南シナ海における中国の軍事拠点化について懸念を伝えたことが報道されている。またフィリピンは、常設仲裁裁判所に対して南シナ海問題で仲裁を提起しており、中国は同裁判所に管轄権なしとしてこれに参加していないが、裁判所の手続きは進められており、結論が早晩下されると言われている。

 南シナ海は交通の要衝であり、世界の海運の50%と東アジアのエネルギー輸入の90%がこの海域を通っているとも言われる。しかも、この海域は経済成長著しい東南アジアに位置している。

 したがって、中国が南シナ海について何を主張し、この海域で実際に何を行っているかは、世界の誰にとっても重大な関心事である。中国はアウトサイダーが口を出すべきでないとしているが、日本を含めどの国もアウトサイダーではあり得ない。この話は、1997年に日米が日米防衛協力の指針を改定したときに、中国がこれを台湾問題に関係づけて批判し、「隣人として隣の家庭の平和を願うのは分かるが、庭にまで立ち入って喧嘩に入るのは民法で言えば違法だ。」と述べたことを思い出させる。これは「周辺事態」が中台紛争を含むか否かという議論の中で出てきた話であるので今日の南シナ海問題とは異なるのは承知の上だが、どちらも「隣の家庭の平和」の問題というより、天下の公道の安全の問題なのである。

 天下の公道を巡るルールは明らかであり、それについて勝手な解釈は許されない。法は言葉の通常の意味に従って誠実に解釈されなければならない。どの国も既存の法秩序に100%満足しているわけではないだろうが、だからといってルールを勝手に破ってよいということにはならない。合意は拘束するのである。

 拘束するといっても強制する手段はないが、にもかかわらず、国連海洋法条約をはじめとする国際ルールは秩序の基礎である。そこから利益を得ている我々がその意義を否定してはならない。むしろ、どうしたらルールを守らせることができるかを考えるべきである。

 まずは常設仲裁裁判所が合理的な判断を下すことを期待しつつ、我々は、フィリピン最高裁のカーピオ判事のような人たちの国際社会におけるpublic diplomacyの努力とも協調しながら、国際世論に粘り強く働きかけていくべきである。こうして中国の国際的評判に影響を与えていくことは重要なことである。

 もちろんそれだけではだめである。国際秩序の最も基本的な要素はパワーバランスであり、我々に有利な形でバランスを回復することは最重要課題である。米国をはじめとする諸国が協調して南シナ海におけるプレゼンスを増やしていくことも必要だし、沿岸国の海洋安全保障能力の構築も必要である。それは、この地域の安全保障を支える「ハブとスポークのシステム」のハブだけでも個々のスポークだけでもできるものではない。この地域に関心を深めつつある域外諸国も含めた大きなネットワークの中で協力していくべきである。

 パワーバランスの回復と強い法意識は、いずれも秩序維持のために不可欠な要素である。但し、国際世論に訴えていくには別の角度からこの問題をみることも必要である。南シナ海における中国の活動は、力を背景とする現状変更の試みという意味でロシアのウクライナへの介入と同じことであるが、ウクライナ危機と違って多くの死傷者や難民が出ているわけでもなく、その深刻さが認識されにくい。しかし、あれだけ急速かつ大規模な埋め立てを行っていて海洋環境はどうなっているのだろうか。中国人の学者は、漁獲制限をしているとか人工のリーフをつくって生態系を回復しているとか言うが、海洋安全保障に関する最近の国際会議では中国による環境破壊に対する懸念をしばしば耳にする。南シナ海は世界の漁獲高の一割を占める漁場でもある。環境という視点からも専門家が声をあげていくことが求められているのではないか。法律論ばかりでは、アメリカ外交の法律的アプローチを「American Diplomacy」の中で批判したジョージ・F・ケナンに批判されてしまうのではないかなどとも考えてしまう。

RIPS' Eye No.205

執筆者略歴

とくち・ひでし 昭和54年東大法卒。昭和61年フレッチャースクール修士課程卒。防衛省運用企画局長、人事教育局長、経理装備局長、防衛政策局長、初代防衛審議官等歴任。平成27年退官。現在、政策研究院シニア・フェロー、上智大学国際関係研究所客員所員、世界平和研究所研究顧問、平和・安全保障研究所研究委員。

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