理念外交のあり方:欧米的大義よりも日本的実践の発信を

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岡垣 知子 (獨協大学 法学部 教授)

 一国が発信する理念が、外交戦略として影響力を持つのはどういった場合であろうか?戦後を通して日本外交について最もよく聞かれた批判の一つは「理念がない」ということであった。理念は本来ポジティブな言葉で表現されるものだが、日本が表明してきた外交方針や対外政策の基軸は、戦争を「しない」、過去の過ちを「繰り返さない」、核を「持たない・・・」といった消極的表現で語られることが多かった。積極的に得点するよりも相手に点を入れさせないことを目指す「守り」の姿勢は、野球やサッカーのようなスポーツの場合だけでなく、外交スタイルにおいても日本の特徴だといわれてきた。国際社会からの批判を避け、まず他国の反応を想定してそれに備える外交スタイルは、プラグマティックで現実的ではあるが、悪く言えば近視眼的で便宜主義的であると評されてきた。

 戦後、アメリカの占領を経て国際社会に復帰し、小軍備・経済中心主義で国家再建と繁栄を図ってきた日本が、「友愛」、「自由と繁栄の弧」、「人間の安全保障」、「自由、民主主義、人権」といった価値理念を謳うようになったのは比較的最近のことである。日本が理念外交を展開し始めた背景には、冷戦の終焉や国際政治におけるパワーバランスの変化があった。東西対立の解消に伴う日米同盟の再定義や世界の成長センターとしてのアジアの台頭は、日本が「国益」に真正面から向き合い、地域的役割のみならずグローバルな役割を模索していく契機となったといえよう。

 それでは理念外交が効果的であるためには、どういった条件を満たす必要があるだろうか?まず第一に、理念は国際政治の現実を踏まえたものでなくてはならない。多様な国家の利害がせめぎ合う国際社会は、「友愛」の世界ではない。必要最小限のルールを各国が守って利害調整していく「civility(礼儀正しさ)」の世界である。美しい理想を掲げてもそれが国際社会の本質についての無理解を露にするものであっては、日本のイメージにとってマイナスである。

 第二に、理念外交は、他の外交手段と異なり、特定の国を排除したり、牽制するものであってはならない。地政学的なニュアンスを含む「自由と繁栄の弧」は、中国に警戒感を与え、結果的に日中関係悪化の一因となった。理念外交においては、メッセージは国際社会全体に対して、どの国もが享受できる形で発信されなくてはならない。

 第三に、対外的に発信される理念は、まず国内社会で合意され、共有されるべきである。「友愛」や「自由と繁栄の弧」は、日本の政治指導者たちの間で共有された概念だっただろうか。また、エリートと国民の間に認識のギャップはなかっただろうか。そしてその後それらの理念は果たして引き継がれたのであろうか。一国の権威が発する理念や原則は、最終的な国家意思として国際社会に伝達され、歴史に刻まれる。指導者が交替するごとに無責任に覆されたり、忘れられたりする性質のものではない。

 理念外交は外交の一手段であり、国益により直結した他の手段と比較すればその役割は限定的である。しかし効果的に用いれば、長期的には国際社会における日本のイメージ改善につながるはずである。日本は、ヨーロッパの国際規範を忠実に受け入れて国際社会に参入したアジアの最初の国家であると同時に、独特の経済発展モデルを提示して、アジアの地域統合に貢献した国家でもある。歴史的経験に即し、その国自身が実践している理念であってこそ説得力があるとすれば、欧米で生まれた「自由、民主主義、人権」を大義として掲げるよりもむしろ「国際法の遵守」、「多元主義」、「共生」といった価値観を、人間の安全保障、環境問題、自然災害における援助や防災システム作りのように日本が実践し貢献している具体的なイシューにおいて発信していくことこそ、効果的なのではなかろうか。戦後の長い努力の結果、国際社会の信頼を勝ち得、ようやく成熟した外交論議ができる素地ができた今、外交理念の内容と発信の仕方を十分に検討していく必要がある。

RIPS' Eye No.169

執筆者略歴

おかがき・ともこ ミシガン大学政治学博士。専門は国際政治学。平和安全保障研究所安全保障研究奨学プログラム第5期生。最近の著作として、The Logic of Conformity: Japan’s Entry into International Society (University of Toronto Press, 2013). また、ケネス・ウォルツ氏著『人間・国家・戦争:国際政治の3つのイメージ』(勁草書房、2013年)を共訳。

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