戦争の負の遺産清算こそ尖閣問題解決への王道

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池上 雅子 (ストックホルム大学 政治学部 教授)

 中国海軍艦艇による火器管制用レーダー照射事件は、東シナ海や尖閣諸島で日中間に偶発的軍事衝突の危険が極めて高い事を警告している。中国側は昨年9月に激しい反日暴動を起こして尖閣問題を反日という政治問題にすり替えようとし、また昨夏以来執拗な準軍事的圧力で領土紛争化しようとしている。更に中国は大陸棚延伸という新論法を考案し、殆どこじつけで尖閣領有権を主張しようとしている。これら中国側の粗暴かつ執拗な実力行使の裏にあるのは、実は中国側には尖閣領有権主張の国際法上の根拠がなく、また中国もそれをよく承知しているという事だ。したがって尖閣問題をめぐる中国側の最大の弱点は国際法上の根拠の欠落であり、日本はこの弱点をこそ徹底的に突いてゆくべきである。逆に、中国側の武力挑発に拙速に武力で応酬すれば、尖閣を領土紛争化するという中国側の策略に嵌ってしまう。

 中国は尖閣領有権主張の根拠にカイロ声明 (Cairo Communique)[1] とそれを踏襲したポツダム宣言 (Potsdam Declaration) を挙げるが(いずれの文書にも尖閣は明記されず)、これらの当事国は中華民国(台湾)であり、しかもカイロ声明は英米当局が「単なる趣意書であり台湾の中国への割譲を意味しない」と注釈しており、尖閣領有権主張の国際法上の根拠とはならない。中国の主張は 「台湾は中国の一部」という独善的前提に依拠した政治的主張にすぎない。有馬哲生氏の『正論』論文によれば、米国も沖縄への施政権行使とその返還に至るまで一貫して尖閣を沖縄県の一部として扱っており、それを突然翻し「中立」と態度を曖昧にして紛争の種を残したのは1970年代米中接近キッシンジャー外交の落度である。[2]

 また、尖閣を日中二国間係争問題として扱う事自体、「台湾は中国の一部」を実体化しようとする中国の台湾攻略策に嵌ることになる。万一中国が、尖閣諸島とフィリピンが領有権を主張するスカボロ岩礁を簒奪すれば、中国が既にベトナムから武力で奪ったパラセル諸島と併せ、台湾が実行支配する東沙(プラタス)群島周辺海域と領海を完全に包囲し、軍事戦略上台湾を自動的に陥落させる算段だ。かくして 中国海軍が対米防衛線と定める第一列島線内はもはや中国の領海となりアジア太平洋に於ける米国覇権が終焉する事態も想定されよう。軍事戦略上台湾問題と米中覇権交代が懸かっているからこそ尖閣問題は潜在的に非常に危険であり、日本は慎重に対応しなければならない。

 一部には尖閣問題の再棚上げでの幕引き論もあるが、それでは将来米国の方針転換や軍事力の相対的弱化を機に中国の武力による簒奪、という事態を招きかねず永続性がない。日本は今回の極めて危険な軍事的威嚇を機に、尖閣問題の国際司法裁判所 (ICJ) への提訴を検討すべきだろう。ICJ係争地となれば、中国も尖閣海域で攻撃的行動がとりにくくなる。中国の主張に国際法上根拠のない事を天下白日に曝せば、反日を煽る中共体制の正統性も失墜する。また、ICJ 公判過程で戦時文書も含む歴史外交文書を精査することは共同の歴史再検証作業となり、関係国が戦争の歴史を乗越え相互理解・和解に至る契機となる。中国はカイロ声明を拡大解釈して台湾や尖閣、ひいては沖縄の領有権すら主張しかねない。折角当事国の英米当局が「単なる趣意書で領土割譲を意味しない」と註釈をつけているのだから、日本は台湾と協調してカイロ声明を完全反故にするよう働きかけるべきだろう。

 しかしながら、日本の尖閣領有権が国際法上明らかでも、政治問題としての尖閣問題は残る。中国が国連などで「日本が尖閣を盗んだ」と発言する心情は 、「かつて帝国日本が強大化に乗じて領有化した」という認識だ。従って、国際法上の領有権とは別に、政治的紛争解決をも講じる必要がある。台湾が提案する「東シナ海平和構想」をたたき台に日中台の三者が漁業資源共有や将来の共同油田開発などを話し合うことは、紛争予防に有効な政治的措置だ。また、偶発的軍事衝突を防ぐ為、尖閣海域への船舶航路の事前通報制度や軍事力不使用合意(偽装漁民の大量上陸など軍事力の非正規行使も含む)、ひいては尖閣周辺海域の非武装地帯化など、将来的に台湾海峡有事も予防する優れた信頼醸成措置として一刻も早く検討すべきだろう。戦争の負の遺産の清算こそが尖閣問題解決への王道であり、東アジアの将来の平和と繁栄への鍵である。

RIPS' Eye No.164

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  1. 一般に「カイロ宣言」と訳されるが、原本は当事者(蒋介石、チャーチル、ルーズベルト)の署名もない、文字通り「単なる趣意書」であり、これを「宣言」とあたかも正式な文書であるかのように扱うのは誤訳か、意図的な心証操作である。
  2. 有馬哲生「キッシンジャー文書の中の尖閣」『正論』平成24年9月号。

執筆者略歴

いけがみ・まさこ 国際基督教大学教養学部卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科で社会学博士号取得、更にスウェーデンの名門ウプサラ大学平和紛争研究所で学術博士号(Ph.D.)取得。ストックホルム大学日本学部助教授、CPAS所長兼教授等を経て現職。これ迄に明治学院大学国際学部、関西学院大学総合政策学部、東北大学法学部などで客員教授。2005年ハワイの東西センターPOSCO Fellow。2010年度安倍フェローとしてワシントンD.C.とハワイの東西センター客員研究員。RIPS上席客員研究員。

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